立教04年度前期講義・後始末(阿部嘉昭)
最初に、確認のため、このサイトの「講義内容(立教)」にしめした講義のテーマ等を貼り付けておく。
・2004年度前期 立教大学(全学年)講義(「共通自由演習10」)
全体テーマ=
現代マスコミを泳ぎきるための
全ジャンルOKのライターを目指そう
(やがては雑誌文化を変えてやろう)
――のための、具体技術助成講座
※月曜16:30-18:00
@立教大学池袋校舎5201教室
※※限定30名のゼミ形式講義ですが、
事情が理解できればモグリ学生も許容します。
以上だ。
その最初の講義はどうだったか――。
1.受講者決定大ジャンケン大会+
「オレのような食えないライターになってはいけない」(4月12日)
もともと僕は、シラバスには「おいしい」ことを書いていた。むろん「おいしい」ことしか書けないのは、僕のエンタメ根性というか乞食根性のせいだ。篠崎(誠)君みたいな、シラバスに飴と鞭を使い分けることのできる平衡感覚がうらやましい。
はじめてのゼミ形式講義だったので、勝手がわからなかった面があって、日文4年の原弘一君に生徒選抜のやりかたについて事後相談した。彼には限定人数講義でシラバスにおいしいことを書くなんて、と呆れられた。大人数が教室に殺到したらどう収拾をつけるんですか、と脅かす。たしかにひとコマ講義では以前、最初の回にほぼ500人が受講希望で教室に殺到したことがあった気がした。だから、若干の身震いとともに、中庭移動、その後、僕vs学生たちの、受講決定をめぐっての甲子園みたいな大ジャンケン大会を覚悟した。そして覚悟のうえは、それを派手にイベント化してやろうとも野心した(教務課からは30人以上の受講者がいた場合は、「30人きっかり」に受講者を揃えるよう、枷がはめられてもいたのだった)。
結果は、それほどの覚悟も必要なかったということになる。教室にはほぼ100人の受講希望者が立錐の余地なくひしめいていたが、僕vs学生たちのジャンケンで、僕に勝った学生がなんと一発でほぼ30人に決まってしまった。「アイコ」「負け」の学生には、お引き揚げいただいた。そのなかには、ふだん僕の教室には存在しないようなイケイケ美形ネエちゃんコンビがいたりして、「お前ら、ちゃんとジャンケン勝てよー」と憾みものこったりしたんだけど。あとは卒業に必要な全単位取得済の学生の好意によって、単純に微調整をほどこし、受講生30名の基本を整えただけだった。
というわけで、時間が余り、何か話をする必要が生じた。で、「オレのような食えないライターになってはいけない」という、実体験に基づいた、役に立つ講話を即興で展開した。この手の話はラクだ。ふだん飲み屋でしているようなザンゲを、シラフでやればいいだけなんだから。僕が語ったポイントは以下だったろうか。「自分の好イメージを文中に巧みに織り込め」「記事はもちこめ」「取扱い対象に詳しくなくても記事なんて書ける」「厚顔無恥でいよ」「ケーハクでいよ」「記事がある程度溜まったらファイルをつくってマメに編集部詣でをせい」「ケーハク編集者主催の飲み会にはしょっちゅう出席せい」「全方向的に人とオトモダチになろう」「決して難しい文章を書いてはならん」――ヘヘッ、僕が普段まったくしな� ��ことばかりじゃねえか。
それから現在の編集者社会の構造からいって、女子のほうがライターになるには断然有利、男子学生は女の書き手を装うようなオカマライターを目指したほうが早道かもしれん、というキツい話をした。それと稿料の基準の話。文春の一枚一万円と、僕のよく書く媒体の一枚千円からゼロ円の、世界格差。だから僕は仕事を幾らしてもヒモなんだよね、と軽く自己卑下をキメたのち、現在はジャンル的な狙い目としてはTVネタのコラムニストが一番、という断言をおこなった。とある編集者から故ナンシー関の後釜的な若手ライターを各誌が血眼で捜しているという話を聞いていたからだ。
むろん、こっちが自分ネタで話したかぎりは、受講決定者にも自己紹介をしてもらわねばならん。で、順に興味をもつジャンル、卒業後の計画などを質問し、それに答えてもらった。いろいろな個性が集結したなあ、という感触。
最後に、手始めの課題を提示。周知のように池袋はラーメン激戦区。そこでのイチ押しラーメンの記事を、グルメ雑誌に載せるつもりで実地取材+メモから書いてほしい、と。16w*18行バージョンと16w*25行バージョンの2パターンで、という注文をつけた。これで第一回講義が無事終了。あとは旧知の学生と飲み屋へ。春休みにしたことの相互報告が一応の目的。とおもったら、早くも新規の呑み助(含・女子学生――大伴さん、あんたのことだ)が同席してきた。
2.「グルメ記事いろいろを検証してみよう――コラム記事から吉田健一・玉村豊男まで」(4月19日)
この講義は前回依頼した課題の回収が最大目的。ただ、その講評は必然的に次回講義になるから、ツナギの講義をしなくちゃならない。それで、まずプリント配布したのは、講談社発行『おとなの週末』04年2月号の記事抜粋(ここでは山本益博の文章の荒廃を突いた)、文藝春秋編の『東京いい店うまい店1999-2000年版』中の「とんかつ」部分。ここではもともと味覚語彙が少ないために、「食」記事がどんなパターンを踏むかを、わりかし高級に構造分析した記憶がある。あと、『おとなの週末』の凡庸にたいし、『東京いい店うまい店』が味覚転写のうえでいかに多彩なテクをつかっているか、また字数圧縮のためにどんな技術をつかっているかの注意喚起も、部分的には逐語的におこなった。生徒はさぞや面妖だったろう―― こんな簡単な記事に、そんなメンドい技術が介在するのか、と。
で、以下はそのプリントに紛れこませた、僕自身によるダミーコラム記事。
深川飯。江戸庶民が急いでかきこむ、古色たっぷり、未洗練のぶっかけ飯のようだが、奥深い。あさり味噌汁、その貝のやさしさと甘さが味全体の焦点になっていて、ぶっかけるのはこれしかないと賛嘆させる。
味噌は濃いめの赤だが淡泊。香りが飛ぶほど熱い。だが繊かな刻み海苔とともにやがて仄かな香りが鼻をつきだす。葱が味全体を更に柔らかくする。大ぶりのどんぶり一杯、当初はさらさらしていた飯粒が汁を吸い次第におじや状に膨れあがってくる。その頃には舌に味噌味の濃厚さが拡がっている。つまり食べて二度旨い、味の段階的な変化に江戸時代から続く人気の秘密があった。より淡泊なあさり炊き込みご飯とのセットもある。満腹。(阿部)
これは、『おとなの週末』に載っていた深川宿の深川飯紹介記事を、まったく同じ字数・形式で僕が書き直したもの。その記事では食べ始めから最後までの深川飯の食感変化にまったく言及していない点が不満だった。で、書き直しをおこなったのだが、結果、紹介すべき基本を極端に圧縮せねばならなかった。そうした工夫と苦労を生徒たちにわかってもらったうえで、僕の語彙は基本的にグルメ雑誌に載るには少し難解/圧縮過多で、この原稿はもしかすると『おとなの週末』編集部には書き直しを命じられるかもしれん、と自己批判もした。わりと好きな原稿なんだけどね。
次に僕が紛れこませたのは、こんな記事――。
フジヤ(とんかつ)
仲見世通りから少し脇に入った、小さな構え。カウンター八席のみの素っ気なさ、これが食通サイトで密かに話題にのぼる隠れ名店なのか。
主人の肉への構えがちがう。寿司職人の極上鮪の扱いを想わせる慎重な所作。やがて油の爆ぜる音が静寂を破る。繊細で一定の小音。それが約十分続くから長時間低温揚げだ。パン粉の細かい衣は色が薄く、馴染みのよさでついに肉から離れない。
分厚く切られた特上ロースはその噛みごたえが独自。肉組織が柔らかな筋で連なり、重なっている。噛むと肉汁の甘みが拡がるが、単に叩いた肉とは食感が全く異なる。ソテーよりバーベキューに合う部位だろうか。とんかつの姿をした贅沢な肉三昧。これも一流ホテルの西洋料理長がとんかつに惹かれ転身� �たゆえか。脂身が終始、一定割合になっている配慮も肉好きには応えられない。
むろん、容易に予想がつくように、これは『東京いい店うまい店』の「とんかつ記事」に並列させる目的でつくった記事。やはり同じ字数にしてある。『東京いい店』が、よく叩き柔らかくしたヒレとんかつばかりを褒め称える風潮が眼につき、それをちょっと批判しようという意図が最初にあった。僕は断然、ロース派だし。
そしてここでも、店に入って、食べ終わるまでの「時間」、その転写という無駄なことが書かれている。これは字数調整にあたって、深川飯よりもさらに面倒な手続きを介したのではなかったか。結果、「肉組織」というヘンな急造語彙がそのまま残ってしまった――そのようにザンゲした。
ダミー原稿には瑕疵があったほうがいい。そのほうが、解説が自己讃美から離れる余得もあるし、同時に生徒もその原稿を具体性をもって見つめるようになるから(別に僕は実際のグルメライターでもないわけだし)。
ちなみに、このフジヤというとんかつ屋、ぜひ一食してみる価値がある。サイトで探すと住所も見つかるとおもう。
講義では、その後、グルメ記事から離れ、文学の域に達した名文ということで、プリントに載せた玉村豊男と吉田健一の分析に移った(玉村豊男は『dancyu』91年12号掲載の上海蟹の食紀行文、吉田健一は『私の食物誌』からの抜粋)。
僕は玉村さんのグルメ文を以前、徹底的に尊敬していたことがあった。文章の風格と、卑しいくらいの食い意地の拮抗のなかから、人間の食欲や生活が本当は何なのかという高尚な問題が浮上してくる。その問題提示が玉村さんの場合すごくスマートだった。同時に、彼の喚起力ある文章では、読む者は自分も食べたいと口腔に唾液を溜めながら、同時に食に淫することの浪漫を学習するようにもなる。
吉田健一は断言名文。例のごとく、独特の翻訳調、かつ長文文体なのだが、このひとの語感は抜群で、結局、地名から食に直接関係のない薀蓄までが、読み手の食欲昂進につながるような魔法が駆使される。彼の断言の真骨頂は、「この豆腐は豆腐の味がして旨い」といった、同語反復形にとどめをさす。このとき、食世界の一切が透明化する。
ちなみに「旨い」は男言葉、「美味しい」は女・子供がもちいる形容と、以前の日本文化では明確に規定されていたものだった。
この講義では2年度前の日芸放送学科の生徒、松島誠くんがモグった。
3.「提出レポート"池袋イチ押しのラーメンメニュー"の大講評大会」(4月26日)
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