2001年9月11日午前9時少し前に、誰もがどこで何をしていたかを覚えておられることでしょう。世界中の多くの人は見たところいつ終わるともしれない災害を驚きの目で見つめていましたが、一方でグラウンド・ゼロ(被災現場)にいた事業継続計画担当者は、従業員の生命と事業活動の救出計画の実行に向けて大活躍していたのでした。
メリル・リンチ社のグローバル災害計画担当役員であるポール・ハニー氏は、災害発生当時、世界貿易センターの筋向かいにある世界財務センター内の同社世界本部にいました。
他の大勢の人と同じようにハニー氏もショックを受けましたが、彼は直ぐ当面する課題に焦点をあてました。3分から5分の間にメリル・リンチ社は司令センターを立ち上げ行動を開始したのです� �
「我々は飛行機の衝突後数分の間に連絡回線を開きました。様々なキーパースンは全員が連絡回線に接続し現状報告を伝えるとともに、事態の調整と管理に着手しました。」
最初の1時間、ハニー氏にとっての最優先事項は従業員を建物から避難させ全員の安全を確認することでした。被災現場から100メーターの範囲内にある4つのビルから、ハニー氏の推定では約9000人の従業員を救出しなければなりませんでした。驚くことに数ヶ月前、メリル・リンチ社は従業員避難プランを見直したところでした。だから飛行機が衝突したとき、従業員全員は避難ルートを知っていたのです。
緊急プランに記されている通りに、従業員はマンハッタン南部から離れてハドソン川に避難しました。「一時は、我々は� �送会社を経営しているのかとさえ感じたほどでした。フェリーボートを何隻も借りて従業員を川向こうに渡したのです。」
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「その地区からは何千人もの従業員が避難してきました。マンハッタン南部から離れようとしていたのです。私の記憶に強く残っているのは、とても静かだったことです。走る人も泣き叫ぶ人もいませんでした。パニックはありませんでした。あるものはただ完全な静寂でした。」ハニー氏はそれを「不気味な感じ」であったといい、「一体何が起こったのか、誰も本当には理解できなかったのでしょう」ともいっています。
一方で事態が明らかになるにつれて、メリル・リンチ社の全社緊急対応チーム(Corporate Response Team)はニュージャージー州にある司令センターから事態の管理を始めていました。ハニー氏によりますと「復旧活動を組織するために司令センターに連絡を取る必要はありませんでした。混乱の中でも従業員は自分が何をせねばならないのか知っていたのです。」とのことでした。
災害前の5月、ハニー氏とそのチームは、本社が機能停止に陥ったとの想定で2日間に及ぶ全社の大規模な模擬訓練を実施したのです。もちろんその訓練はテロリスト事件をベースとしたものではありませんでしたが、復旧プランにとっては実質的な訓練でした。「何をせねばならないのか、我々は十分な準備ができていました。」とハニー氏はいっています。
ダウンタウンにいたメリル・リンチ社の従業員の避難が終わり安全な場所� �移った後、ハニー氏はグラウンド・ゼロに近いメリル・リンチ社の、あるダウンタウン事務所に入りました。「私は執行役員とともに、ある当社のデータセンターにとどまりました。当社の上級執行役員も到着して状況を観察し、我々に適切な指示を与えて頂きました。」
攻撃に続く数時間、正確な情報の収集はまさにチャレンジでした。周囲の事務所が次第に不安に陥る状況の下で、ハニー氏は状況把をメディア報道に依存したのです。数時間の中に彼のチームは従業員の救出と人数確認の段階から、経営継続プランに記載されている事業回復に優先度をおいた標準的な事業復旧段階に移行することがでましたとハニー氏は語っています。
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「言うまでもなく、我々には9000人もの従業員を収容できる代替施設はありませんので、全体の固定資産書類を調べなければなりませんでした。今回の災害発生前に、どの機能を海外に移転できるかを予め検討していました。海外に移行できる業務は海外に移転しました。スタッフを地方に移行せざるを得ない業務については、誰をどこに行かせるかを決定しました。その結果第1日目の終わりまでに、我々はかなり手際よくすべての行動方針を作り上げ行動を開始することができたのです。」 2000年問題の後、メリル・リンチ社は社全世界の事業拠点にLDRPS(災害復旧計画システム)の使用を義務づけていました。テロリスト攻撃を考慮してみると、全社にLDRPSの使用を義務づけたことは「賢明な策でした。当社には42カ国で約66,000人の従業員が働いています。機関取引、個人顧客、資産管理、さらに多様な業務を支援するための様々な支援グループなどの多様な業務グループに関わるのは困難なことです。ある人のプランと別の人のプランは違うかもしれません。しかしLDRPSは様々なプランにある程度共通する、標準設定を可能にしてくれました。」
普通の情況下でも調整を必要とするほどの膨大なデータと情報量に関して、「LDRPSはメリル・リンチ社にとって強力なデータの容器 です。」とハニー氏は語っています。
「LDRPSで作成されたプランは当社の組織構成に基礎をおいています。従って私の仕事のかなりの部分は、作成されたプランや基準となる政策が企業全体を通じて矛盾のないようにすることです。」
ハニー氏はメリル・リンチ社のトップマネジメントが事業継続計画を強力に推進していることを賞賛しています。「トップからの支援は決定的に重要です。世界的に見た当社のLDRPS利用者は約1200人います。前回の計算によると約6000件の重要な業務プロセスがありました。現在、システムには莫大な情報量が保管されていますので、それらを利用して災害からの復旧に成功したのでした。」とハニー氏はいいます。
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常時更新を必要とする情報量は膨大なものです。ハニー氏はまさにそれを成し遂げている彼の「練達した」計画担当チームをも賞賛しています。「彼らは仕事を進めるための様々な術策を心得ています。その術策とそのチャレンジとは、ローカル・レベルで間違いなく仕事をしてもらうことなのです。」 「我々のチームは組織の上席管理者あてに提出される極めて総合的な報告システムと、一連の管理点と活動チェックリストに依存しています。これによって、ある計画がどの作成段階にあるのか、その計画のレベルや能力どうかなどを可成りよく知ることができます。この報告書は毎月上席管理者が目を通します。一般的にいって、何か問題が発生すれば比較的早く解決することができます。」とハニー氏はいいます。
攻撃に続く数日間、メリル・リンチ社にとっての最大優先課題は当社従業員の「安全と幸福(well-being)でした。従業員の幸福の面倒を見ることは最重要でした。」精神的にこの災害を忘れることのできない従業員に対処するための偶発災害プランの一部として、メリル・リンチ社は従業員にカウンセリン グを提供しています。その週には、オクラホマ市ビル爆破事件を経験したカウンセラーが呼び寄せられ相談に応じたのです。
第2の優先課題は、出来るだけ早くできるだけ多くの業務プロセスを回復することでした。「その一週間は、業務活動の継続が必要な事業分野には、顧客満足のために必要なものをすべて確保することに集中しました。」とハニー氏はいいます。
その攻撃の甚大な結果にもかかわらず、メリル・リンチ社は全米及び全世界での事業活動を継続しました。特記すべきこととして、メリル・リンチ社は攻撃の翌日から公債市場を再開したのです。「災害の甚大性を考慮してみると、公債市場の再開は大変な成果だといえます。」とハニー氏はいいます。同業他社は翌週の月曜日になって株式市場 を再開したのです。
メリル・リンチ社のプランは見事に機能しましたが、ハニー氏によると事業継続計画が成功するのにはその計画を常に見直しておく必要があるとのことです。 「計画に含まれるすべての事項を徹底的に訓練してみる必要があります。様々な見直しを通じて、廃止したり改善する点が数多く出てきます。」 「現在私が重点的に検討しているのは、どちらかというと手続的な事項です。具体的にはプランの提出、印刷、保管、管理などです。又、従業員がそのプランを家庭でも事務所でも持っていることが必要で、私は全員に家庭でもプランのコピーを持たせようと思っています。」
メリル・リンチ社が事業回復を継続していく上で、LDRPSは色々と役立っているとハニー氏はいいます。「当社従業員のデータベースはLDRPSに接続されているので、従業員が現在どこに住んでいるのかが判ります。プランを携行している人は、全従業員の自宅電話番号を知っていました。これらの大量の情報を利用して、我々は当社の事業回復に役立てることが出来ました。」
「今回の災害復旧の成功はチームとしての大きな努力によ� �ものです。このような事態から回復するには全員の参加が必要ですが、今回の場合全員が参加してくれました。」とハニー氏は強調しています。
「個人的な気持ちとしては、当社全体の業務が回復する様子を見ても、それをとても信ずる気になれませんでした。1棟のビルやビルのある階を失うことと、世界貿易センターに加えて更に6棟ものビルを失うことは全然別の話で、絶対に信じられないことですから。」とハニー氏は最後に述懐しました。
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